明治中期から大正にかけての時代に
浜口熊嶽と言う非常に有名な催眠術師がいたと
吉田かずお先生から聞き、調べてみました。

少年時代に密教の修行などをした彼は、
17歳の時に、「エイ、エイ、パァ、パァ」と言う掛け声で
知られる気合術を始めました。

触れることなく黒子取りや歯の抜き取りを行ない、
各種疼痛の除去、リューマチ後遺症の治療を行なったと言われています。
これはメスメリズムの一種だと考えられます。

彼の催眠の技術は、インターネットもない時代に全国に知れ渡り、
彼は各地を施術行脚をしていました。

しかし、明治期に日本国中に広がった
催眠術への熱狂を危険視した政府はすでに、
催眠術から名を変え形を変えた霊術や気合術にも
弾圧の手を伸ばしていました。

浜口熊嶽も、大阪、神戸、東京と、行く先々で
警察への出頭命令や拘留を受けること700回以上、
法廷に立つこと40回以上と記録されています。

法廷の場に立っても、彼は一切ひるむことなく、
気合術を実施して取調べ側に存分に調べさせました。
そして、ほとんど全部の裁判で無罪を勝ち取ったのです。

人々から求められ、官憲も取り締まることができなかった催眠。
現代日本の催眠術と全く異なる状況に驚かされます。
彼の貢献を顕彰して建てられた銅像は今も彼の故郷の町を見渡しています。